ストーマをお持ちの方のインタビュー動画集

情報誌「ゆうじん| 結人」の巻頭インタビューを、動画でご覧ください。
誌面には載せきれなかった内容も、生のお声で聞いていただけます。

オストメイトの体験談

オストメイトランナーの山本悦秀

オストメイトだからこその出会い。「笑って、体を動かす!」日々

オストメイトで市民ランナーの山本悦秀さんをご紹介いたします。 続きを読む
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オストメイトだからこその出会い。「笑って、体を動かす!」日々

山本さんは大腸がんを発症したのちに肝臓転移、三度にわたるがん切除手術を経てオストメイトになられた方です。
市民ランナーとして闘病中も現在も、フルマラソンをはじめとした多くのレースに出場されています。
また、金沢大学の教授職を退き、都内で歯科医院を開業、現在も現役歯科医師として活躍されています。

これまでいろいろな工夫をして走っていました。

Q.マラソンは毎日されているんですか?
山本:気分が良い時に走っています。

Q.走っていて不便に感じたことや、漏れたりしたご経験はありますか?
山本:マラソン中に漏れたことが1回だけありました。装具交換して次の日にマラソンをしたり、水をかぶったりしたら剥がれました。

Q.走るために工夫しているストーマケアのコツを教えてください。
山本:密着が確認できるまで1日かかるので、マラソンをする2日前に交換するようにしています。漏れ出すと、バーッと漏れるので、面板の左右を、自宅に沢山あったサロンパスを貼って補強していました。

Q.他に工夫していることは?
山本:また、ストーマ袋を斜めに貼ったりしていました。走る時に、そ頸部(太ももの付け根)にストーマ袋があたらないようにするためです。

ストーマケア、オストメイトトランナー山本悦秀先生

Q.暑い夏場でも交換間隔は一緒ですか?
山本:夏場のレースに出る時は交換間隔を1日短くしています。

Q.山本さんは弊社の新製品『センシュラ ミオ』と出会われて、それまでのストーマ装具から変更されましたが、何が変わりましたか?
山本:私にとって『センシュラ ミオ』は救世主です。これまで情報が無かったので、1種類しか比較していないのですが、この装具が良いということは分かります。
まず、『センシュラ ミオ』は着けた感じがしませんね。以前は着いている感じがしましたから。『センシュラ ミオ』は全然違います。
伸縮性が良いのでしょうね、密着性が高いと思います。だから着けた感じが気になりません。また、面板の補強に使っていたサロンパスも、
『センシュラ ミオ』に変更してからは全く使わなくなりました。そうすると色素沈着が改善しました。2か月で普通の色に戻りましたね。
とても助かりましたし、かゆみも無くなりました。私にとっては本当に良かったです。

Q.テキスタイルはいかがですか?
山本:以前の不織布のごわごわした感じがないですね。使用感が無いというのはそういう事でもあるんです。

Q.センシュラ ミオ』の不透明タイプは、二段階ハイドアウェイといって、ストーマ袋を半分に折り曲げてとめられるようになっています。
山本:これは良いですね。走っている時にこれだと当たって邪魔になることは無いですね。次回購入の際は『センシュラ ミオ』の不透明タイプにします。やっぱりストーマ袋が短くなる方が良いですから。

センシュラ ミオ二段階ハイドアウェイ機能


センシュラ ミオ二段階ハイドアウェイ機能・ストーマ人口肛門

 

みなさんも新しい情報を得て、自分に合う装具と出会って欲しい

Q.-先ほど新製品の情報がなかったとおっしゃいましたね。
山本:私は、これまで他のメーカーの装具をずっと使っていました。病院で「これを使いなさい」と言われれば、それを使うしかなかったんです。
でも、私はたまたま学会に行って、『センシュラ ミオ』を知ることができて良かったと思っています。それまでは、教えてもらえなかったですから。
他のオストメイトの方も、同様でしょうね。みんなに「知る権利」はあるのに。

オストメイトだからこその良い出会い。そして「笑って・体を動かす!」日々です。

Q.オストメイトの中には、常に何らかの気がかりを抱えていらっしゃる方が多いと思いますがいかがですか?
山本:私は、オストメイトであると告白して、良い出会いができたなと思っています。
大学は65歳で定年しても、私には医学的知識をもって自分の経験を話す責任があると思っています。とても感謝しています。
自分でストーマを受け入れて良かった。最初は一時的なストーマと言われていたのに、ストーマを閉鎖できない、閉鎖するなら死ぬ覚悟をしてくださいと言われました。
それから5年が経過して、公表したんです。自分としては、生かされたという思いがあるから感謝しています。
がんに勝つには自分で情報収集しなければと思っています。そして、笑って、体を動かす事を実行していました。
でも、体の調子が悪いと落ち込みますね。肝転移で化学療法をした時は落ち込んだ。年賀状を書く時に今年が最後かなと思ったりもした。でも、救われたという思いが強いですね。
私は大学の仕事は65歳で定年退職しましたが、心に定年は無いと思っています。生涯現役。100歳まで仕事をする予定です。仕事をしているとまだまだ新しい出会いが沢山あります。

 

山本さんの著書紹介: 山本さんはご自身の体験を赤裸々に明かすことで、少しでも全国のオストメイトの方々を元気づけたいと願って書籍『走って治すぞ、ガン闘病。』(徳間書店)を出版されました。

  • 山本さんの著書『走って治すぞ、ガン闘病。』(徳間書店)の詳細とお求めはこちらから
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ストーマ保有者の方々の体験談

ストーマ保有者の方々の体験談

世界には沢山のストーマ保有者の方がいらっしゃいます。 いくつかの体験談をご紹介します。 体験談はこちらから
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ユーザーの体験談

初めての外出

「私の初めての外出は、お見舞いに来てくれた方と14歳の娘と行った病院内のカフェでした。 その際、ストーマ袋の中身を捨てなければならなくなり、トイレに行きました。 この外出で自分に本当に自信がもてたし、ストーマ造設術後も人生は続くのだと実感できました」。
アン

「手術後はかなり体力的に衰えましたが、体力と充足感を取り戻すため、手術1ヵ月後には日課の散歩に出かけていました」。
サマイラさん

初めての休暇

「手術から4ヵ月後、トルコに行きました。 飛行機では、(スーツケースの紛失に備え)手荷物としてたくさんの交換用ストーマ袋を持ち込みました。 ワンピースタイプの水着を着て、腰に巻く布(パレオ)も使いました。 一番困ったのは、非常に蒸し暑かったとき、シャワーの後にストーマ袋がくっついてしまったことです」。
アン

「手術から11ヵ月後、家族に会うためオーストラリアに行きました。 飛行機の旅は順調で、客室乗務員の方もよく対応してくれました。 コロプラストからストーマに関するトラベルカードを取り寄せて持参したため、行列で待たされることもありませんでした」。
ローズマリー

仕事への復帰

「私は手術から3ヵ月後に仕事に戻りました。 職場には予備の着替えを持っていきました。 一番困ったのは、会議中にストーマ袋から気恥ずかしい音が漏れることでした」。
アン

「手術後は体力が戻るまで、3ヵ月間休職しました。 その後、仕事には段階的に復帰しました。仕事の時間を徐々に増やしながら、慣らしていったのです。 復帰当初はとても疲れを感じたので、これはいい復職の方法だったと思います」。
フィオナ

「救急車の運転手としての仕事を辞め、現在は、私の友人が立ち上げたがんサポートサービスのボランティアとして働いています。 がん患者さんが充足感を得られるよう、手厚いケアを提供しています」。
ヘイゼル

日常生活への復帰

時間が経つにつれ、周囲の方は私が装着しているストーマ袋に気付かないことを実感しています。手術前にしていたことは何でもできています。 手術前はできていたのに現在はできなくなってしまった趣味や活動はありません」。
フィオナ

「最初は、とてもつらかったです。 でも、夫や友人の助けで、乗り越えることができました。 現在はストーマ袋も自分で交換でき、手術前にやっていたふつうのことは全部できます。 時にはストーマ袋があることを忘れてしまうほどです」。
ローズマリー

「大切なのは、手術前と同じ生活に戻ることです。 担当のストーマケア看護師と継続的に連絡を取り合ってみてください。 看護師の方々も忙しいでしょうが、元気がないときには助けてくれるはずです。 人生では何が大切かを考え、それに意識を向けましょう。 サポートグループへの参加や雑誌の購読もいいと思います。 手術から1年後も、時々ストーマが邪魔に思えるかもしれませんが、ストーマは必ずしも人生の妨げにはなりません」。
サマイラ

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ヘニングさんの体験談

「手術翌日の朝、目が覚めると、お腹にストーマ袋があることにすぐ気付きました。 ショックだったとは言いませんが、独特のとまどいがありましたね。 こう思ったのです。 「ずっとこのままなのか?」と。 オストミーと一生付き合わなければならないと知ったとき、自分を哀れむのはやめました。オストミーでの生活を避けられないのであれば、最大限活用しようと思ったのです。 今では、ストーマの保有に伴う問題はなく、聞きたい方にはストーマについて話しています。 ゴルフコースでは、必要ならゴミ箱の横でも、ストーマ袋を交換します。」
へニング

モーゲンスさんの体験談

「最初オストミー手術を受けたときは、ちょっとショックでした。 オストメイトの方を2人だけ知っていましたが、どちらの方も亡くなっており、自分ももうすぐ死ぬんだと思いました。 だから、できる限り長く人生を楽しもうと思ったのです。 これが1997年の話です。 最初、趣味の再開には少々苦労しました。特に水泳です。更衣室などを歩き回って準備する必要がありますから。 でも、私が手術を受けたことを周りの方々に説明してからは、私自身も含めて皆、ストーマ袋のことは気にしていません。 サウナに入っていてストーマ袋から音がしたときも、皆で笑っていますよ。」
モーゲンス

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